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静岡地方裁判所 昭和59年(行ク)1号 決定 1984年6月25日

申立人

上杉秀之

申立人代理人

宮川光治

古谷和久

並木政一

被申立人静岡県知事

山本敬三郎

被申立指定代理人

山崎まさよ

外一四名

主文

一  被申立人が昭和五九年五月四日申立人に対してした、申立人の開設にかかる歯科シズオカクリニックにつき保険医療機関の指定及び療養取扱機関の申出の受理を同月一四日付で取消す旨の各処分は、いずれも、本案判決が確定するまでその効力を停止する。

二  申立費用は被申立人の負担とする。

理由

一本件申立の趣旨及び理由は、別紙(一)記載のとおりであり、これに対する被申立人の意見は、別紙(二)記載のとおりである。

二疎明資料によれば、申立人は、肩書地において、歯科シズオカクリニックなる診療所を開設する歯科医師であつて、昭和五三年二月一日、健康保険法に基づく保険医療機関の指定及び国民健康保険法に基づく療養取扱機関の申出の受理の各処分を受け、以後引続いて保険診療を取り扱つてきたこと、被申立人は、昭和五六年一一月二七日及び昭和五七年六月二五日の二度にわたる指導の際、歯科シズオカクリニックに対し、保険給付の対象となつている診療行為について患者から不当に料金を徴収している疑いがあることを指摘して、その改善を求めたにもかかわらず、申立人の側に改善の意思が認められないとして、昭和五九年二月に、歯科シズオカクリニックにつき患者実態調査を行い、同年三月には、健康保険法四三条ノ一〇第一項、及び国民健康保険法四六条一項の規定により、厚生省との共同監査を実施したこと、被申立人は、右監査の結果、申立人には保険医療機関及び保除医療養担当規則(以下「療養担当規則」という。)五条違反の行為が認められたとして、静岡県地方社会保険医療協議会の答申を得たうえ、同年五月四日、申立人に対し、健康保険法四三条ノ一二及び国民健康保険法四八条の規定により、同月一四日付けで歯科シズオカクリニックにつき保険医療機関の指定及び療養取扱機関の申出の受理を取消す旨の各処分をしたことが一応認められる。

しかして、申立人が、これに対し、同月九日、被申立人を被告として右各処分の取消を求める本案訴訟を当庁に提起し、現に係属していることは、訴訟上明らかである。

三そこで、本件取消処分により申立人に回復困難な損害が生じ、かつ、これを避けるため執行停止をすべき緊急の必要があるか否かにつき検討するに、疎明資料によれば、次の事実を一応認めることができる。

1  歯科シズオカクリニックは、昭和五三年二月一日に申立人が開設した歯科診療所であり、昭和五九年五月八日現在、申立人を含め常勤歯科医師三名、歯科衛生士八名、歯科技工士一名、歯科技工助手二名、栄養士四名、事務職員二名、用務員二名の合計二二名が勤務している。診療所の建物は、申立人の母上杉きよ子の所有する敷地(面積840.79平方メートル)の上に建築された、申立人の所有にかかる鉄骨コンクリート造二階建の建物で、そこには、診療室六室(歯内療法室、ウ蝕治療室、予防歯科室、外科室、歯周病治療室、補綴治療室)、技工室一室、レントゲン室一室、消毒室一室、回復室一室、医局一室、事務室一室、待合室一室、会議室一室、食堂一室が設けられ、主要設備として歯科診療台一一台、レントゲン装置四台、診療報酬請求用マイクロコンピューター一台、ブラックコントロール用コンピューター一台等の近代的設備を備えている。

2  同診療所の昭和五八年分診療収入の合計額は一億〇〇八九万一三二八円であり、そのうち保険診療による収入額は四五九五万一七六八円、それ以外の診療による収入額は五四九三万九五六〇円である。同診療所に最近来院した患者のうち保険診療を求めなかつたものは皆無に等しく、同診療所の保険診療による収入以外の診療収入は、そのほとんどすべてが保険による診療を受けていた患者に対する診療行為によつて生じたものである。

3  申立人には、歯科シズオカクリニックの経営による診療収入のほか、さしたる収入はなく、他方、診療所開設資金、運営資金、診療所及び自宅の増築資金等にあてるため金融機関から多額の借入をしており、現在返済中である。昭和五八年一二月末日現在における事業資金の借入金残高は四九六一万〇九〇〇円であり、昭和五九年一月二七日には新たに一三〇〇万円の借入を行つている。このほか、申立人は昭和五八年五月一二日に三島信用金庫から住宅資金として三五〇〇万円を借入れ、昭和五九年五月一〇日現在の借入金残高は三二四九万四〇五八円である。診療所兼自宅の建物及び建物の敷地は、債権者のための共同担保となつており、抵当権及び根抵当権が設定されている。

以上の事実によれば、本件各処分により、歯科シズオカクリニックにおいて保険による診療を行うことができなくなれば、来院患者は激減し、保険診療報酬を喪失するばかりでなく、これまでかなりの割合を占めてきた自由診療報酬も含めて、同診療所の収入全体が著しく減少することが予想され、その結果、本案判決の確定に至るまでに同診療所の経営は破綻し、従業員らの解雇、診療所施設の処分等を余儀なくされて、現在の規模、内容の診療所自体を廃止せざるをえない事態に陥る可能性もあるものと一応推認されるが、このような損害は、仮に本案において本件各処分が取消された場合、その回復が極めて困難であると考えられる。

したがつて、本件は、行政事件訴訟法二五条二項にいう「本件処分の執行により、回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」に当たるというべきである。

四被申立人は、本件は本案について理由がないとみえるときに当たる旨主張するので検討するに、まず、疎明資料によれば、本件各処分の理由とするところは、歯科シズオカクリニックにおいて、静岡県民生部長が申立人に宛てた「社会保険医療担当者の監査結果にもとづく弁明について」と題する書面(以下「弁明催告書」という。)中監査結果(その他)の欄に記載された五項目の行為につき、所定の一部負担金等以外の金員を別途患者から徴収したことは、右五項目の行為がいずれも保険給付内の診療行為であつて、歯科シズオカクリニックから保険者に対しその診療報酬が請求されているのであるから、療養担当規則五条の規定に違反するというものであつたこと、歯科シズオカクリニックでは、右五項目の行為を行つた際、多少の例外はあるかもしれないが、所定の一部負担金等以外に相当額の金員を患者から徴収していたこと、健康保険法の規定による療養に要する費用の額は、歯科診療にあつては、「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」(昭和三三年厚生省告示第一七七号)別表第二(以下「点数表」という。)によつて算定すべきものとされていることが一応認められる。

そこで、歯科シズオカクリニックにおける右五項目の行為が、それぞれ、保険給付内の診療行為といえるか否かが問題となるところ、疎明された右各行為の内容と点数表に掲げられている各項目とを対比してみた場合、点数表が被申立人主張のごとき性格を有するものであること、すなわち、点数表においては、疾病又は負傷に関する一連の診療行為中主要な行為をとらえて項目が掲げられており、簡単な行為ないし附随的行為は、これに包括して評価されるべきものであること、また、療養の給付は疾病又は負傷に関して行われる医療サービスを広く含み、行為の内容が一面で「健康診断」「予防処置」「保健指導ないし衛生教育」等の性格を有するものであつても、それが疾病等を有する患者を診療している際に行われるときは、保険給付内の診療行為に該当する場合があること等を考慮しても、なお、前記五項目の行為の中には、点数表に掲げられている項目に該当するか否かの判定が困難なものがあり、この点は専門領域にわたる問題でもあるから、訴訟の現段階でにわかに確定することはできず、この点を解明するためには、さらに本案において慎重な審理を重ねる必要がある。

つぎに、被申立人は、現行医療保険制度において保険者が被保険者に対して行うべき療養の給付とは、傷病の治ゆを目的とした一連の医療サービスの全部を指すものであるから、保険医療機関が、保険証を提示して診療を求めてきた患者に対し、保険診療を続けながら、特定の分野ないし事項につき、当該患者の求めに応じ、同人との自由な契約に基づいて、傷病の治ゆのために通常必要とされる程度をこえた高度、濃密ないし奢侈にわたる医療サービスを提供した場合にも、当該患者から療養担当規則五条所定の一部負担金等以外の金員を受領することは許されず、この原則に対する例外は、入院に際し傷病の治ゆのために通常必要とされる病室以上の上級の病室を使用した場合と、歯科において通常必要とされる材料以上の材料である貴金属を使用して一定の治療を行つた場合とに限られるから、本件においては、前記五項目の行為につき、個別的具体的に、保険給付内の診療行為であるか否かを検討するまでもなく、申立人の違法行為は明らかである、と主張する。しかしながら、被申立人の主張にかかる右見解は、健康保険法・療養担当規則等関係法令の文言上明定されているところでないのみならず、保険者が被保険者に対して行うべき療養の給付とは、制度の趣旨から考えて、疾病又は負傷に関して行われる諸々の医療サービスのうち、治ゆのために通常必要とされるものに限られるのではないか(換言すれば、それ以外の医療サービスについては、保険医療機関と被保険者との間においても、自由診療契約の対象となしうる余地があるのではないか)との疑問が残り、さらには、被申立人が指摘する二つの場合についてのみ例外を認めるべき合理的根拠も、いまだ十分に明らかにされているとはいえないから、いま直ちに被申立人の主張にかかる右見解に賛同することには躊躇が感じられ、その当否について、さらに本案で審理を遂げる必要がある。

また、疎明資料によれば、他の歯科診療所においても、これまでに保険診療を受けている患者に対し、本件で問題とされている行為と同様の行為を行い、申立人と同様の方法で所定の一部負担金等以外の金員を患者から徴収していながら、何ら行政処分を受けていない事例のあることが窺われるうえ、本件申立人の行為は、診療報酬の架空請求や水増し請求等の違法行為と同列には論じ得ない側面を有しているので、本件処分に至る被申立人の裁量判断の適否に関しても、さらに本案で審理をする必要がある。

したがつて、提出された疎明資料により、本件各処分が適法であるとの心証を得ることは困難であるから、本件が本案について理由がないとみえるときに当たる旨の被申立人の主張は、採用できない。

五さらに、被申立人は、本件処分の執行停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると主張するので検討するに、被申立人は、申立人がこれまでに患者から不当に料金を徴収したことに関し、患者に不満を持たれており、本件処分の効力が停止されれば、申立人が患者から不当に料金を徴収する行為が繰り返されて、これにより公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある旨主張し、疎明資料によれば、歯科シズオカクリニックで受診した患者の中には、費用がかかりすぎるために途中で診療を中断した患者や、根管治療や歯槽膿漏の治療を受けた際、申立人から保険が効かないとの説明を受けたため、やむを得ないと思つて、費用を支払いこれらの診療行為を受けた患者のいることが一応認められるけれども、一診療所に過ぎない歯科シズオカクリニックにおいて、診療報酬に関連して患者との間に多少不都合な事態が散見され、本件各処分の効力を停止すれば、今後もかかる事態の発生する余地を残すことになるとしても(申立人は、本件各処分を受けたことを契機に、これまで以上に、保険証を提示して診療を求める患者は、保険の範囲内ですべて賄えるような治療を求めているものとみなして、診療に当たる旨決意している、というのであるが)、このことから、直ちに公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるということは容易に首肯し難く、また、そのような疎明もない。

また、被申立人は、本件取消処分の効力が停止されれば、医療保険行政の持つ監督権限は、事実上その機能を停止させられるに等しく、医業従事者のモラルの低下に拍車をかけ、ひいては医療保険行政を崩壊に導くと主張するが、本件効力停止は、単に本件処分の効力を本案判決の確定に至るまで一時停止するに過ぎず、裁判所において本件各処分の理由となつた申立人の行為を是認し、あるいは被申立人の申立人に対する指導や本件処分が違法であるとの判断を下したものではないから、本件取消処分の効力の停止自体によつて、直ちに被申立人の懸念するような事態が現出するとは考え難く、また、そのような疎明はない。

そして、他に、本件取消処分の効力の停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることを窺わせる事情の主張、疎明はないから、被申立人の右主張は採用することができない。

六よつて、申立人の本件申立を認容することとし、申立費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(佐久間重吉 北村史雄 孝橋宏)

別紙(一)、(二)<省略>

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